気持ちデータの観察考察

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演劇『スカイライト』感想 〜懐かしい朝食のぬくもり〜蒼井優

新国立劇場の芸術監督に就任した小川絵梨子が、就任後初の演出作品に選んだ作品。舞台上は常に2人きりで、延々と続く対話劇。出演は蒼井優、葉山奨之、浅野雅博のたった3人。蒼井優はこれが代表作になるのかもしれないほどの出来映え。役者たちの熱量溢れる舞台だった。
「病床の天窓」「矛盾」「雪と朝食」。個人的に印象に残ったこれらの3点を通じて、秀作の本質を探る。

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(引用元 https://www.nntt.jac.go.jp/play/news/detail/13_013241.html)

 

1、「病床のスカイライトについて」

アリスが亡くなる時に居た最後の部屋は豪華絢爛で、一面の大きなガラス、天井の明かりとり、アリスが好きな景色を思う存分楽しめるようにと、降り注ぐ星空が見渡せる天窓(スカイライト)。

アリスが死んだ日のことは、トムにとっての十字架で、一生消えない傷。その時にトムの時間は止まってしまった。「アイツは、自分の死を使って、俺に復讐をしているんだ」

トムは、この、アリスの終焉の部屋について、くりかえし思い出話をする。彼にとってあの部屋は特別な場所だ。
二つの相反する言葉でトムはあの部屋での出来事を振り返っていて、そしてそれはどちらも偽りの感情ではない。
1つは、「アリスが亡くなるまでのあいだ、(その部屋ではほかにやることもなくて)ずっとキラのことを思っていた」という事。
そしてもう1つは、最後の最後にバラを持って行った時、アリスが「花はやめて」と言った事。「花は、私たちが本当に愛し合ってた時のものだから、今は花はやめて」。
トムはひどく傷ついていた。アリスを愛していた。アリスが自分のことを許さずに死んでいってしまった事、とりかえしがつかなくなってしまった事に、後悔をしていた。こんなはずではなかった。
でも同時に、キラのことを心底に愛していて、強く求めていた。キラしかいないと思えていた。アリスさえいなければ、キラを迎えにいけると、望んでいた。
でも同時にキラのことを憎んでいた。なぜ今キラがここにいないのかと。なぜ自分を裏切り、置き去りにし、飛び出したのか。愛していたはずでははなかったのか。

 

2、「矛盾について」

トムはところどころで矛盾している。自分勝手で、自分本位が強すぎる。
見ていて、気分が悪くなるほどだ。
中心主義者で、全能感にあふれ、自分を中心に世界が回っていると思い込んでいるタイプの男だ。男尊女卑的で、偏見が強く、社会階層論者だ。
自分本位度が圧倒的に強すぎて、ここまで強いと彼がただの自分勝手な嫌なヤツでしかなくなってしまう。これは欧米人と日本人の価値観の違いのせいか?それとも時代背景か?(脚本の初版は1995)

「トムにはこういうナイーブな可愛げもある」というモチーフもたまに出てくるのだが、まったく打ち消せないほど、嫌なやつだ。面と向かって女性にあんなにズバズバ言ったり、寄りを戻したくて元カノの下を訪れたはずなのに、死んだ奥さんの思い出話を延々と続けたりするのは気が狂ってる。

キラは、自分なりに、一生懸命に新しい道を模索し、切り開こうと努力をしている。これをトムはコテンパンにけなす。
「こんな生活に価値はない」とくさす。
ジョークを交えながら、愛着もこめてふざけているニュアンスで話したりしているのもわかるのだが、それどころではないのだ。しつこく繰り返し繰り返し「こんな極寒の部屋で暮らしているのは自己満足の表れだ」と罵る。しつこすぎて、陰険だ。

トムは甘えている。
「この自己矛盾をはらんだ、ひどい僕自身を、キラ、君なら丸ごと受け止めてくれるよね、受け止めてほしいんだ」という甘え。そういう狙いをこめて、彼は矛盾をあえて露呈するのではないか。

しかし、人間関係にはそんな甘えは通じない。
愛であろうがだ。
無償の愛であろうがだ。
人は生きている。物ではない。
尊重が欠如したコミュニケーションは成立しえない。
彼女は、生きている。
リスペクトを失ってはならない。

しかし、胸に手を当ててもみる。
誰しもが潜在的には自分本位な面を隠し持ち、トムはそれがあからさまな形で表立っているだけに過ぎなくて、我々の本望とは実はトムの言動に近いものを秘めているのではないのか。
だからこそ、観劇側の私たちはトムを見ながら、耳を塞ぎたくなるのではないか。目をそらしたがるのではないか。

トムの言動は限度を超え「人間らしくない」と先程は否定したが、実はまったくの逆で「あまりに人間らしい」ということなのかもしれない。
ここでもまた矛盾している。


3、「雪と朝食について」

深夜に感情をぶつけ合い、大きな声を出し、クタクタに疲れた二人が再び別れの時がくる。明け方のタクシーをキラが電話で呼ぶ。「なるべく早く」と。
到着した運転手がドアベルを鳴らすのが終幕の合図で、ふたりは抱き合うこともなく別れる。

果たしてこの再会は、ふたりを成長させる機会となるだろうか。キラに新しい発見はあったか。何もないようにも思える。でもキラは言った、「今でも、そしてこれからもあなたをとても愛している」と。それを伝えることができた夜だ。

くたびれたキラが部屋の明かりを落とし、眠りにつく。
この演劇は、とどまることのない対話劇で、感情表現のシーンというものがない。ワンシチュエーションで、対話という断面だけを大胆に切り抜いたドラマだ。夕食の調理も、テストの採点作業も、常に対話しながら行われる。

この夜の、眠りつく瞬間だけが、キラのひとりきりのシーン。とぼとぼと部屋を歩き、ストーブを落とし、布団を整えなおしてゆっくりとかぶり、眠りにつく。
そして、雪が降る。
新国立小劇場のセンターステージを覆い囲うように、高い天井から雪がふる。とても美しい。
静寂と安らぎ。
数年間、胸のうちでつかえていたことがすべて吐き出されて、特になにも解決はしていなくとも、安らぎがふりそそぐ時間。

朝になると息子のエドワードがトムとすれちがいでやってきて、サプライズプレゼントだといって、昨夜にキラが唯一忘れられない思い出として挙げた、朝食をプレゼントにと持参してくれた。

ホテルの朝食!

「もし唯一、あの頃がうらやましい、あの頃に戻りたいと思うとすれば、それは朝食かな、あの優雅な朝の気分。」
あたたかいスープ、きらきらのカトラリーの音、たっぷりのコーヒー、たくさんの種類のパン。

キラが、ナプキンに鼻をつけて、深く息を吸い込む。「懐かしいにおい、新しいナプキンの匂い」キラは涙をこぼす。「本当に、ほんとうに、素晴らしいわ、エドワード本当にありがとう」

何年ものあいだ、誰にも打ち明けられず、相談もできず、何度も自問自答をし続けてようやく生活が落ち着いてきた時、昨夜、トムがやってきて、キラはついに長い長いトンネルから外に出られた、その日の朝。トムにお別れをきちんと告げられた、朝。
エドワードが懐かしい朝食を届けてくれた。お別れと再会。新しい再出発と郷愁。ナプキンの匂いには、キラのたくさんの思いが溢れる。
空気が冷たく澄み渡り、すがすがしく清らかなる朝。

キラは出発する。新しい一日の始まり。バスに乗り、学校へと向かう。いつもどおりに。