気持ちデータの観察考察

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フェルメールと手紙 「2018フェルメール展」の感想 〜コミュニケーションデバイス変化による人々の行動変化〜

◆1、フェルメールを観賞しに2018上野へ。

2018年の東京上野のフェルメール展には、現存するフェルメールの全35作品のうち、日本初の8作品もが同時来日した。
時間帯別の事前予約制だったから、平日の17:00-18:30の回で予約して、多くの人が退社後に予約するであろう18:30-20:00を避けたら、けっこう空いてて快適だった。

 

さて今回はその中で『手紙を書く婦人と召使』という作品について着目する。

この作品は1672年頃に描かれた作品で、フェルメールは1675年に43歳の若さで亡くなるため、つまりこれは40歳前後に描かれた晩年の作にあたる。

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(引用元 https://goo.gl/images/6M8yEX)

フェルメールの代表作の多くは主に30代に描かれており、たとえば有名な『青いターバンの少女』が調べたら1665年だったので、33歳頃の作品にあたる。それよりは後期の時代となる。

 

◆2、手紙を書くという行為について。

『手紙を書く婦人と召使』も、フェルメールの他作品同様、宗教画のような品位と清潔感を帯び、澄んだ空気を感じる作品だ。静かでおだやか。

絵の主人公である婦人は、手紙を書いている。

フェルメールの作品群には、他にもいくつかの“手紙を書くシーン”を切りとった作品が散見される。
フェルメールの作風はよく、“一般の人々のごく日常のありふれた生活の断片が描かれている”と示される。ということは、この作品に描かれている婦人たちも“日常生活を過ごす17世紀オランダの一市民”であり、つまりそれは“手紙を書いて相手に送る”という行為が、日常の市民たちにまで習慣化しはじめているという歴史的な転換点を切りとった証拠資料でもあるといえる。

「手紙」としてひとくくりにできるかはともかく、“文字で書いた文章を遠距離間で情報交換しあう方法”は、貴族や将軍たちの間ではもっとずっと昔から活用されてきたが、それが“一般市民でまで”となったのは、この17世紀オランダが比較的早いほうじゃなかろうか。(そもそもまだフランス革命前夜であり、市民という概念さえも弱く、中世と近代の境い目をむかえる季節。)

フェルメールがわざわざ、この“手紙を書く”“手紙を読む”という行為を選び、あえて絵画に描いた、という選択眼が興味深い。

 

◆3、絵画の見方、フレーミング/タイム理論について。

さてここで先にベースとなる部分を振り返っておくが、一言でアートと呼んでも、そこにはいろいろな手法が含まれている。音楽、文学、演劇、美術、工芸、映画、写真、等々。
いずれもアート、芸術作品ではあるが、それぞれの手法によってそれぞれの特性があるため、やはり鑑賞の楽しみ方は変わってくる。
ぼくはこの「芸術手法ごとの特性の違い」を独自の方法で頭の中でマッピングした形で整理しており、これを『フレーミング/タイム理論』と呼んでいる。こうして体系だてて整理をしておくと、鑑賞ポイントがすっとはいってきやすかったりする。


さて、話しをフェルメールに戻して、今回は“絵画”というアウトプット手法の特性に着目してみてみる。

“絵画”という手法の特性はまずなんといっても「フレーミングがある芸術手法」だと言える。ここでいう「フレーミング」とは、ある風景を絵画として描きたいなと画家が考えた時に、その風景のある一部分をキャンバスに合わせて“四角い枠で抜きとる”ような作業のことを指している。これがフレーミング。勝手に呼んでいるだけだけど。
絵画にはフレーミングがあり、それによって“フレームの内側と外側”がまず存在し、それは作者の強い明確な意志で選択された事によって産み出され、結果として絵画には「フレームの内側のことしか表現としては残すことができない」という特性がある。

そしてもうひとつが「時間軸」。
芸術手法によって、“時の流れ”についての表現方法は大きく異なる。たとえば“絵画”というアウトプット手法において「時間」とは、“ある瞬間の時間を止めて切りとる”ことである。絵画は時間を止める芸術と整理できる。作品内に描かれたすべての風景は、時を止めている。

この2軸が名前の通り『フレーミング/タイム理論』の考え方で、横軸に「フレーミング軸」、縦軸に「時間軸」を置き、各芸術手法をプロットしていくとそれぞれの特徴がわかりやすくなる。

つまり“絵画”とは、「フレーミングが強く影響し、時間を止めて切りとるタイプの手法」と整理できる。


◆4、生まれたばかりの手紙というコミュニケーション手段

作者がある出来事を絵画作品にしたいと考えた時、その出来事のどのタイミングを、どの角度から、どの範囲で切り出すのか。まずそこで、作者の意図が強く反映される。
厳密にいうとフレーミングがまったくない芸術というのはないのだが、そこに特化しているのが“絵画”である。

 

絵画の作中で手紙を書く、というのは不思議なものだ。
手紙とは、フレームの枠の外側へと想いを馳せる象徴であるからだ。

絵画作品とは「そのフレームの中ですべてを語り尽くす」ことが基本となる。
しかし、この作品の主人公は、ある意味では「フレームの中には不在の文通相手」なのである。主人公がフレーム内にいないなんて、こんなことは歴史上なかったことではないか。

なぜこんなことが起こるかというと、17世紀オランダ以前には一般社会にまで発達した郵便制度はなく、まさにこれは人類にとって新たな生活インフラが生まれたばかりのシーンなのである。

インフラが大きく変わる時、我々人間の行動や思考回路も大きく変わるはずである。
この17世紀オランダも、郵便制度の発達という大きな転換点によって、ずいぶんライフスタイルが変わったのではないだろうか。

一般の市民が相手とコミュニケーションをとるには、今までは会って話すしか方法がなかった。

手紙の登場により、
物理的距離があって話せなかった人と、文章を通じて対話することができるようになった。
面と向かっては話にくかった思いも、落ち着いて文章にまとめて相手に伝えることもできる。
人目につかず、会話もできる。

こういったことが初めて可能になった。

フェルメールの『手紙を書く婦人と召使』という作品の背景には、そういう歴史的な変化点が描かれている。

この婦人が書く手紙は、おそらく恋文で、筆を進める婦人の表情が楽しそうで印象的。
“手紙を書いて相手に思いを伝えることができる”という喜びが描かれている。そんなことは今まで叶わなかったことだ。“今ここにはいない恋人のことを思って手紙を書いている”という時間が作品に切り取られていて、その手紙はいつか“今ここにはいない恋人の手元に届き、封が解かれ、恋人がその手紙を読む時間が訪れる”。
手紙の到着を待つ相手の恋人の待ち遠しさまで浮かびあがってくる。

フェルメールが「手紙を書く、手紙を読む」という行為を好んで作品化するのは、生まれたばかりの新しいインフラによって人々のコミュニケーションが変化していく面白さと、それを絵画に描きとる事によって、本来の絵画が持つフレームという枠の制限を「外側へと拡張する効果」を期待してのことなのではと想像できる。

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◆5、フェルメールが現代を描くとすれば。

その後、手紙というインフラは数世紀をかけて世界中で発達し、20世紀になるとコミュニケーションテクノロジーは急速に発展を迎える。
電話が生まれ、携帯電話が生まれ、インターネットが生まれ、パソコンが生まれ、eメール、SNS、チャット、へと発展は続く。

遠く離れた恋人と電話を通じて気軽に会話ができるし、誰にも悟られずいつでもチャットで即時に愛も確かめあえる。

コミュニケーションデバイスの発展は、人間の行動様式やライフスタイルに大きな変化を与えるのである。
我々現代人は慣れてしまいその喜びを忘れがちだが、フェルメールの作品の中で手紙を書いたり読んだりしながら一喜一憂している人々を見ると、その喜びの誕生に想いを馳せる。

もしもフェルメールが2019年を描くとしたら。
昼下がり、窓から陽のさしこむ部屋のなか、熱心にスマホでLINEをしている女性を興味深く、何枚もフェルメールは描くんじゃないだろうか。