気持ちデータの観察考察

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【隠れた名作】TVドラマ『ごめんね青春!』に込められた宮藤官九郎作品の思想の根底とは

『ごめんね青春!』は、2014年10月から12月まで日曜21時のTBS系で放送された宮藤官九郎脚本によるオリジナル作品。

「静岡県三島市の高等学校を舞台とし、錦戸亮が演じる主人公教師の青春時代の罪の告白と赦しをメインテーマとしつつ、細かなギャグの多用と恋愛模様を織り交ぜて彼と周囲の人々の青春を描く学園コメディドラマ(Wikipediaより)」である。

宮藤官九郎といえば、『あまちゃん』や『木更津キャッツアイ』といった目立つ代表作があるので、この作品はあまり取り上げられることは少ないけれど、意外と“宮藤官九郎作品の思想の本質”がにじみ出ていたよなと記憶している。

昔に書いた感想を、少し手を加えて再掲する。(本記事:2014/12/23作成)

1、「謝る」というテーマ

ごめんね青春という作品のテーマのひとつに「謝る姿勢」がある。

タイトルにもなっている、この物語のシンボリックな題材だ。

「ごめんね」と思っている。ごめんねと口に出して謝罪する。悪いことしたなと思って人に相談する。謝りたいと思い続けている。

こういう「後ろめたさがある状態」がひとつのキーワードだ。人生において「誰もがいくつかのうしろめたさ」を内在させながら生きている。

2、「青春」というテーマ

そしてもうひとつのキーワードは「青春」だ。

主人公の原 平助(錦戸亮)はそもそも、早く卒業したいけど、自分が起こした「あの学校の火事」のせいで高校を卒業できずにいる。
だから高校教師にまでなって高校に残り続けている。

“青春”の本来のルールとは「人生のある限られた時間にしか存在しないもの」ということである。主人公はこのルールを犯している。

3、「過去」に拘束される人たち

時間にしばられている。過去の失敗に人生を拘束されている。
主人公だけでなく、何人もの人がそれぞれの事情で。

その「それぞれの事情」が、実は「ある象徴的な出来事」にすべて紐付いていたということが次々と明らかになってゆくというシナリオは演劇畑っぽいモチーフだが、今回の作品でその中心となるのが「あの火事」である。

現実社会においても、こうして多くの人を過去にしばりつける出来事というのはたまに起こる。
例えばそれは「震災」だ。
2011年以降、クドカンのつむぐ物語には、震災の影が見え隠れする。

本人たちはその街を去り、違うところで生きていかなければならなくなった。いなくなった姉のうしろめたさを抱えて妹は生きる。
「いつもお姉ちゃんばっかり。みんなお姉ちゃんを心配して、私のことなんて振り向いてもくれなかった。あの人はいつもそう。一番大切なときに悪気もなくわたしの邪魔をするの。ごめんねって謝りながら」

4、「人生一度きり」の文化祭

最終話に向けて、学園祭の準備が進む。

「時間は決して戻らない」というメッセージを、青春の1ページである「高校の文化祭」というテーマでシンクロさせて、学園祭をキラキラした貴重で無二な時間として演出してみせた(その名も青春祭!)

生徒の印象的なセリフがある。
「これから先、俺たち、卒業して、入学して、就活して、入社して、どんどん大人になっていって、そのときにクソみたいな人生ですごいつまんねえ人生になってしまったとしても、高校三年生の二学期だけはすっげータノシカッタ!!!って誇りに思える文化祭ができて、胸をはってタノシカッタって言える時間を人生につくってくれて、先生本当にありがとう」(記憶ベースなので正確性に欠く:以降のセリフも同様)

5、「許さない‼︎ いいえ、許します‼︎」

ハイライトは、最終話のひとつ前の回の満島ひかり(蜂矢りさ役)との屋上での二人芝居だろう。

錦戸亮が火事の日の話を満島ひかりに告白する。
その際の満島ひかり演じた蜂矢りさのセリフを、記憶している雰囲気で書きしるす。

「なんで?!なんでいまゆうの?!明日がついに文化祭なのに、やっと文化祭なのに。なんでいまなの?!」
「待って。だめだ、無理。気持ちが、気持ちの速さに言葉がおいつかないよ、、わかんない」
「謝らなくていい!!いや、謝って!!なぜ!!どうやったら許せるの?私たちの家族はあの火事のせいで何十年もバラバラになったのを知ってくれているよね」
「許さない。許せるわけないじゃない。どうして。許さない。いいえ!! 許します。わたしはあなたを許します。あなたを。許します。一緒に罪を、共に罪をつぐなっていきましょう」

6、朝の光と、突然の愚行。

日の出。運動場。校舎。ピンクに染まる富士山。文化祭の片づけ。朝の光。冷たい空気。お祭りの残り香。

「蜂谷先生、結婚しましょう!!!」と錦戸亮が叫ぶ。

男の子のこういう突然の愚行を、冗談すぎず、臭くなりすぎずに描くとこがクドカン脚本はかっこいいんだが(これを僕は「憧れの不器用な男らしさ」と呼んでおり、長瀬智也が得意)、今回もそのタイプの主人公を錦戸亮が好演してみせた。

朝日に照らされながら、満島ひかりの、少し照れたふうの、でも時折気丈な表情を挟みながら、
「ええ。しますよ、します。しますとも」

手を上品に前にそろえて。少し斜めに立ち。
髪型はピシリとベリーショートで整えて。前髪をクイッと上げて。

「しますけど……」というところから短い時間をたっぷりとって「それ言うのいまかなぁ」という台詞。
そのしゃべり方には、満島ひかりらしさがつまっている。クスクス笑いながら。
朝の光の空気感を完璧に自分のものにして。その構築力に感動する。

7、満島ひかりって「もともとこういう人なんじゃないの?」とさえ思わせる

満島ひかりの役どころにあたる教師のキャラクターは、とても演じる難度が高かったように感じる。

後発的に刷り込まれた厳格的な性格を物語の前半戦で散々露出し、後半には少しずつ、人間味あふれる感情的なキャラクターを内からにじみだしていく。
「女性的な面もあるんだな」と思ったら、急に気が狂ったように「聖典を重んじる聖職者」の顔を出したり。
このギャップの激しさを、満島ひかりは、まるで「満島ひかりってもともとこういう人なんじゃないの」と思わせる自然さでもってやり遂げた。

8、そして「日常はごく淡々と続いてゆく」のである

そして近年のクドカンがよくそうするように、
「ドラマはここで終わるけど、この物語はこのあともこの街で、この顔ぶれで、とぎれることなく進んでいくし、それぞれの登場人物はそれぞれの持ち場で一生懸命生きていきます」というエピソードを最後に盛り込む。

これがクドカンなりの「震災への回答」ではないかとわたしは思う。

悲観的な終わりでもなくドラマチックすぎる終わりでもなく、
日常はこれからもごく淡々と進んでいくんだという、細く小さくとも、灯り続けるあかりのように。

9、少年少女よ「愛を信じなさい」

この物語には、人類における二大宗教の存在が底辺に流れている。
仏教とカトリックだ。

意識しないと気づかないくらいさりげなく設定されているバックグラウンドだが、脚本としてここに宗教を置いたことには意図があると思う。
このふたつの宗教はまったく異なる源流をもち、主に信仰する地域も民族も大きくへだたっているが、共通する概念がいくつかある。

ひとつは、「人はささいな存在であるから一生懸命に生きよ」という教えである。

もうひとつが、「愛を信じなさい。いつか必ず人は死んでしまうけれども、導かれる者はいつでも愛を信じているし、他人を慈しむ気持ちを持ち続けなさい」という教えだ。

一神教特有の、シンボリックな存在があるからこそ、
多くの名もなき民が名もなきままに平等に幸せに生きていくための悟りである。

それは、つまりこうだ。「ごめんね」、「青春」。