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TVドラマ「ごめんね青春」(脚本宮藤官九郎)への感想

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2017年4クール目のドラマ、「監獄のお姫さま」(脚本宮藤官九郎)を語ろうとすると、

同じく宮藤官九郎の2014年の作品「ごめんね青春」をまず再確認したほうがいいかもと思い、昔に書いた感想を再掲してみる。満島ひかりの役どころの共通性に、込められた意味を感じてしまうからだ。

(2014/12/23作成) 

 

1、「謝る」というテーマ

ごめんね青春という作品のテーマのひとつに「謝る姿勢」がある。この物語のシンボリックな題材だ。

「ごめんね」と思っている。ごめんねと口に出して謝罪する。悪いことしたなと思って人に相談する。謝りたいと思い続けている。こういう「後ろめたさがある状態」がひとつのキーワードだ。人生において「誰もがいくつかのうしろめたさ」を内在させながら生きている。

 

2、「青春」というテーマ

そしてもうひとつのキーワードは「青春」だ。主人公の原 平助(錦戸亮)はそもそも、早く卒業したいけど、自分が起こした「あの学校の火事」のせいで高校を卒業できずにいる。だから高校教師にまでなって高校に残り続けている。
“青春”の本来のルールとは「人生のある限られた時間にしか存在しないもの」ということである。主人公はこのルールを犯している。

 

3、「過去」に拘束される人たち

時間にしばられている。過去の失敗に人生を拘束されている。主人公だけでなく、何人もの人がそれぞれの事情で。

その「それぞれの事情」が、実は「ある象徴的な出来事」にすべて紐付いていたということが次々と明らかになってゆくというシナリオは演劇界っぽいモチーフだが、今回の作品でその中心となるのが「あの火事」である。現実社会においても、こうして多くの人を過去にしばりつける出来事というのはたまに起こる。例えばそれは「震災」だ。2011年以降、クドカンのつむぐ物語には震災の影が見え隠れする。
本人たちはその街を去り、違うところで生きていかなければならなくなった。いなくなった姉のうしろめたさを抱えて妹は生きる。「いつもお姉ちゃんばっかり。みんなお姉ちゃんを心配して、私のことなんて振り向いてもくれなかった。あの人はいつもそう。一番大切なときに悪気もなくわたしの邪魔をするの。ごめんねって謝りながら」

 

4、「人生一度きり」の文化祭

最終話に向けて学園祭の準備が進む。

「時間は決して戻らない」というメッセージを、青春の1ページである「高校の文化祭」というテーマでシンクロさせて、学園祭をキラキラした貴重で無二な時間として演出してみせた(その名も青春祭!)。
「これから先、俺たち、卒業して、入学して、就活して、入社して、どんどん大人になっていって、そのときにクソみたいな人生ですごいつまんねえ人生になってしまったとしても、高校三年生の二学期だけはすっげータノシカッタ!!!って誇りに思える文化祭ができて、胸をはってタノシカッタって言える時間を人生につくってくれて、先生本当にありがとう」

 

5、「許さない‼︎ いいえ、許します‼︎」

ハイライトは、最終話のひとつ前の回の満島ひかり(蜂矢りさ役)との屋上での二人芝居だろう。錦戸亮が火事の日の話を満島ひかりに告白する。満島ひかり演じた蜂矢りさの台詞を、雰囲気で書きしるす。
「なんで?!なんでいまゆうの?!明日がついに文化祭なのに、やっと文化祭なのに。なんでいまなの?!」「待って。だめだ、無理。気持ちが、気持ちの速さに言葉がおいつかないよ、、わかんない」「謝らなくていい!!いや、謝って!!なぜ!!どうやったら許せるの?私たちの家族はあの火事のせいで何十年もバラバラになったのを知ってくれているよね」「許さない。許せるわけないじゃない。どうして。許さない。いいえ!! 許します。わたしはあなたを許します。あなたを。許します。一緒に罪を、共に罪をつぐなっていきましょう」


6、朝の光と、突然の愚行。

日の出。運動場。校舎。ピンクに染まる富士山。文化祭の片づけ。朝の光。冷たい空気。お祭りの残り香。
「蜂谷先生、結婚しましょう!!!」と錦戸亮が叫ぶ。男の子のこういう突然の愚行を、冗談すぎず、臭くなりすぎずに描くとこがクドカン脚本はかっこいいんだが(これを僕は「憧れの不器用な男らしさ」と呼ぶ。長瀬が得意)、今回もそのタイプの主人公。
朝日に照らされながら、満島ひかりの、少し照れたふうの、でも時折気丈な表情を挟みながら、
「ええ。しますよ、します。しますとも」
手を上品に前にそろえて。少し斜めに立ち。髪型はピシリとベリーショートで整えて。前髪をクイッと上げて。
「しますけど……」というところから短い時間をたっぷりとって「それ言うのいまかなぁ」という台詞。そのしゃべり方には、満島ひかりらしさがつまっている。クスクス笑いながら。朝の光の空気感を完璧に自分のものにして。その構築力に感動する。

 

7、満島ひかりって「もともとこういう人なんじゃないの?」

満島ひかりの役どころにあたる教師のキャラクターは、とても演じる難度が高かったように感じる。後発的に刷り込まれた厳格的な性格を物語の前半戦で散々露出し、後半には少しずつ、人間味あふれる感情的なキャラクターを内からにじみだしていく。「女性的な面もあるんだな」と思ったら、急に気が狂ったように「聖典を重んじる聖職者」の顔を出したり。このギャップの激しさを、満島ひかりは、まるで「満島ひかりってもともとこういう人なんじゃないの」と思わせる自然さでもってやり遂げた。


8、「日常はごく淡々と続く」のである

そして近年のクドカンがよくそうするように、「ドラマはここで終わるけど、この物語はこのあともこの街でこの顔ぶれで、とぎれることなく進んでいくし、それぞれの登場人物はそれぞれの持ち場で一生懸命生きていきます」というエピソードを最後に盛り込む。
これがクドカンなりの「震災への回答」ではないかとわたしは思う。悲観的な終わりでもなくドラマチックな終わりでもなく、日常はこれからもごく淡々と進んでいくんだという、細く小さくともともり続けるあかりのように。


9、少年少女よ「愛を信じなさい」

この物語には、人類における二大宗教の存在が底辺に流れている。仏教とカトリックだ。意識しないと気づかないくらいさりげなく設定されているバックグラウンドだが、脚本としてここに宗教を置いたことには意図があると思う。このふたつの宗教はまったく異なる源流をもち、主に信仰する地域も民族も大きくへだたっているが、共通する概念がいくつかある。
ひとつは「人はささいな存在であるから一生懸命に生きよ」という教えである。
もうひとつが「愛を信じなさい。導かれる者はいつも愛を信じているし、他人を慈しむ気持ちを持ちなさい」という教えだ。
一神教特有の、シンボリックな存在があるからこそ、多くの名もなき民が名もなきままに平等に幸せにいきていくための悟りである。

つまりこうだ。「ごめんね」「青春」。