気持ちデータの観察考察

専門はマーケティング分野とかデータ活用。生活者の暮らしはどうデータ化が進み、どう活用され、どう幸せにつながり、それにともない人の気持ちや感情や人生は、どうアップデートされるか。

映画「ナラタージュ」の感想(有村架純と松本潤の感想)

2017年11月、映画「ナラタージュ」を東京品川で観た。


この年の9月末まで朝ドラの「ひよっこ」を毎日見ていて、すっかり有村架純に愛着がわいて応援したくなってしまい観に行ったのだった(いわゆるみね子ロス)。

超清純の「ひよっこ」から結構大胆なベッドシーンがあると噂の「ナラタージュ」への転身をどう演じてるのかも気になって。(撮影はナラタージュのほうが先らしい?が)

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〈画像引用は以下すべて:映画ナラタージュ公式サイトより〉

 

1、ナラタージュは「3つの時間構成」からできている。

有村架純が演じる泉は、うたた寝をしながら3つの時間を行き来する。

①現在(会社勤め)

②大学時代、演劇の手伝いで久々に高校へ行き先生と再開し恋愛関係に落ちる過去

③高校時代、先生との出会いから先生個室の研究室で過ごす思い出

先生(松本潤)との「思い出の品」は懐中時計なのだが、これがシナリオ構造上の“心のメタファー”にもなっており、「現在」の泉(有村架純)が過去の夢を見ながら、「心理的に先生を卒業できた瞬間」が訪れた時に、故障して動かなかった懐中時計が時を刻みはじめる。

2、大切なときは「いつも雨」である。

はじめて先生と出会ったのは、高校生の泉が、学校の屋上でずぶ濡れになるまで立ち尽くしたあとに、廊下を歩いている時だった。

「どうしたの」と葉山先生(松本潤)が、泉(有村架純)に背中越しから話しかける。真っ暗闇の放課後の廊下。

街の名画座の前で、偶然、先生と泉が出会った日も雨だった。

映画が終わって出ようとすると強い雨が降っているので少しやむまで待とうと泉が軒下に立っていると、うしろから先生が優しく声をかける。
「君もこの映画を観ていたんだ」。

先生が大学生の頃の泉を電話で急に呼び出した日も、雨だった。
車の中で泣いている先生。めずらしくお酒に酔っているようだった。
だまって隣に座る泉。

高校生のとき、泉はクラスの女子たちにプールへ制服のまま落とされたことがある。体育の先生は「ふざけあってて落ちたのだろう」と言うが、廊下で(いつも廊下だ)びしょぬれの泉を見た葉山先生は瞬発的に体育教師に食ってかかる。
「なにを見てたんだ!しっかり見ていたのか!」

雨には、死の匂いがする。
あの日の、自殺しようと屋上にいた日の思い出がこびりついているからか、もしくは雨とはそう言うものなのか。

3、まわりが「やな男だらけ」である。

わざとだからしかたないんだけど、うじうじしているときの先生を筆頭に、泉(有村架純)の周りが、あまりに“イヤな男たちだらけ”でうんざりする。
一番ひどかったのは坂口健太郎だ。こんなにイヤな坂口健太郎がみられるのは貴重だろう。
もう少し男性陣の良いところが見えてくれてもよかった。

4、なぜ映像が「キレイじゃない」んだろう。

松本潤にしても有村架純にしても、とてもリアルな人間像で撮られていて、あんまり綺麗じゃない。暗くて、ジメジメしていて、汗っぽい。
この映画を観る人たちは、“神がかったように美しいふたり”も観てみたかったんじゃないかなと思うので、逆に野心的だ。

松潤がベッドシーンでもなんだかカラダがブヨブヨの感じがしたし、有村架純も、靴とか足とかが大切なシーンで“シンボルとして印象的に”描かれるんだけど、それもあんまりキレイには撮らない。

わざとなんだろうけどそうなると、映画がやりたい目的と、キャスティングと観客層のターゲットがぼやぼやしてきて、観てて気になってしまう。

5、「ドア」のこちらとあちら。

社会科準備室のドア。
集中治療室のドア。
先生のセダンのドア。

“現実世界”と“そうではない世界”のあいだに、ドアがある。
結界の先の逃げ込むための場所でもあるし、触れてはいけない入ってはならない場所にも通じる。それでも泉の人生はいくつものドアをひらいて進んでゆくのである。

最近だと「君の名は。」もドアをメタファーに使っている印象的な映画だったな。

6、葉山先生の「軽率さ」が気になる。

葉山先生は、奥さんが精神病をきたしてしまった件も現役の演劇部の女性が自殺してしまった件も、ものすごく後悔してるんだけど、そのわりには泉(有村架純)をけっこう平気で抱いちゃうところがすごく軽率。
泉が(もともと自殺行為に踏み切りそうな不安定な女性だし)性体験によって先生との関係に悩んでしまうのは目に見えてると思うのだが、それが考えいたらないとしたらこの先生も相当メンタルやられてるんだろうなあと思う。ここのタイミングで教え子を抱くのはやばい。もう少し恋愛があたたまって機が熟したタイミングなら致し方ないかもしれないが。

他にも、気になる先生の言動をあげてみるとそこそこある。

泉が先生に告白したあとに突然ぶっ飛んでる身の上話しをしてくれたり(妻が家に火をつけたって高校生に言うかな…)、そのくせ付き合ってもくれなかったり、急に呼びつけてクルマ運転させたり、車の中でだらだら昔の奥さんの思い出話しを無邪気に吐露したり、ド深夜に用事もないのに電話したり。

「そんなことしたら気持ち悪がられるよ?」という言動をしばしばするんだけど、これらもすべて、実は先生の「心の弱さと弱音」「ぼくだって誰かに伝えたいし救われたい」という甘えなんだとみると、人間らしいっちゃあ、人間らしい。

ただし、前提として泉にとって葉山先生(松本潤)は「すごく細やかなところまで気がつく優しい先生」という聖職者像で描かれてるから、そことのギャップが大きすぎると驚いてしまう。

素晴らしい先生としてではなく、「ただの長いこと禁欲してるおじさん」だという目でみれば、まあ、「超かわいい女の子が好きって言ってくれてたら、時々はこうなっちゃうよねー」という理解もできるんだけど、このドラマはそれだといけない気がする。

7、登場人物たちの「恋愛アプローチ」が時々やばい。

それらもすべて「心の弱さによるもの」ととらえるとしかたないのかもしれない。

「どうしようもない精神状態におちいると他人へのアプローチがロジカルではいられなくなる」という事例紹介なのだと思う。

特に坂口健太郎が「嫉妬心や、自分に内在する暴力性をコントロールできない人」というメンヘラ青年をリアルに演じていて、大変気味が悪い。
前半部分のキャラクターが絵に描いたように好青年なので、その急な豹変に、怖いというより寂しい気持ちになってしまうのだが、これもわかりやすい「人間の心の弱さ」だ。

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なんだか、もっとドキドキしようと映画館に行ったんだけど、そういうんじゃなくて「人間の心の弱さ」を考えさせられる映画でした。
ベッドシーンで客寄せ営業してたけど、あってもなくても関係ない程度のシーンでした。