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amazonプライム松本人志「ドキュメンタル」の構造について

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お笑い芸人同士は「力を競いあう」という文化が、他業界に比べても確立されていると思う。通常、お笑いのような無形なサービスだと順位づけといった定量化は難しいため(ひとつの尺度では測りにくいため)、これは日本特有の発展の遂げ方なんじゃないかなと推察できる。その文化形成過程において、松本人志の影響はきっと大きい。松本は若い頃から誰より「一番」にこだわり、自ら最前線で笑いを競ってきたし、周りの芸人たちにもその姿勢を要求してきた。お笑いを格闘技のように、ハダカで勝負するタフでセンシティブな文化へと昇華させ、今日のM-1IPPONグランプリといった真剣勝負の場を産む土壌を耕してきた。今回「ドキュメンタル」が登場してきたのは、そういった「お笑い界の勝負事」のひとつの発展形として生み出されてきたと、そう読みとれる。

「笑ったら負け。笑わなかったら勝ち」という一風変わったルール。お笑いバラエティなのに、笑わないシーンが続くのを肯定してしまって、番組として成立するのかと心配になる目新しいルールである。(元をたどると大晦日の特番が原型だし、古典的な遊びにもにらめっこがあるが)

「ドキュメンタルは実験場である」と松本はあらかじめ表明している。その宣言どおり、シーズン1からシーズン2の過程において松本はルール変更を加えており、その結果、シーズン2のほうが「システム」としてのクオリティがあがっていて、より見応えある戦いの場面が増えたように感じられた。

シーズン1の頃の課題は明確で、「受け身のスタンスで話題への参加量が少ないほど、リスクが低くなり勝ち残りやすい」と感じさせる面であった。これに対してシーズン2では、「攻撃して相手を笑わせたらポイントが貯まり、そのポイント数で最後の決着をつける」という構造に変えたため、笑わせにいく積極性が必要になった。それにくわえて副産物として、そのポイント数が集計で可視化されることによって「番組の面白さに貢献できているのか」という芸人のプライドをくすぐる効果も産んだ。もし仮に0ポイントで優勝したとしても、本業としては「誰も笑かさなかった恥ずかしさ」が残るというプレッシャーの役目としても機能した。

また、シーズン1の経験からか、競技参加者となる芸人のリストアップに際し、たとえば、天才肌で言葉づくりや間の取り方で笑いをつくるメンバーよりは、とにかく手数が多く攻撃的でわかりやすい芸風のメンバーをより選定したように感じた。日村、小峠、吉村、斉藤。

「真剣勝負の笑い」がうむ研ぎ澄まされた芸術性や、わかる人にしかわからないセンスのようなものを視聴者にもつきつけるのが、企画者としての松本人志の真骨頂。お笑いというのは基本、のんびり力を抜いて観るものだと言えるが、その社会的地位を変えたのはダウンタウンの存在が大きい。ただ、「ドキュメンタル」では、戦いが長引くにつれ芸がみだれて、オゲレツや下ネタが増えてしまうのをみると、やや残念である。この点に関しては松本人志はどう考えているだろう、「こんな中身になるとはうまくいかないな」と感じているのか、もしくは「結局一番面白いというのは、そういうことだよ」と達観して観ているのか。ハダカになるのは禁止とか、一定の上品さがキープできたらもう少し観やすくなる気はする。