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落語の「紙入れ」が気になる。

 

江戸の不倫噺「紙入れ」。

2016年のワイドショーは次々と芸能人の不倫報道ばっかり流れていて飽き飽きしたものだが、あんなの誰が興味あるんだろう。

他人の浮気や不倫ネタに「本気で」怒ってる人がいると、なにか深刻なコンプレックスかやましさかのいずれかがあるとしか考えられない。他人の恋愛なんて「しかたねえなぁ」と笑うくらいがちょうどよかったはずなのにな。

さて、「紙入れ」は、江戸時代の不倫話。

江戸時代にも「不倫はやってはいけないコト」という常識はあるようだが、落語の世界では「わかっちゃいるけどやめられない大人の嗜好品」といった空気で表現されていることが多い。

小間物問屋の新吉は、得意先のおかみさんから、今晩亭主が留守だからまた遊びに来てと手紙をもらう。先日夜に逢瀬したばかりで、次こそ亭主にばれるから、もう会わないほうがいいと思いつつ、魅力的なおかみさんの誘いをことわれずに会いにいってしまうが、布団にはいってると亭主が帰ってきてしまう。

人の女房は枯れ木の枝。

江戸時代の不倫は、形式上ではバレたら重罪であるようだが、「紙入れ」の新吉は逃げ出しながら「亭主にばれたら怒られる」という程度の不安さばかりを口にするし、後半のシーンでは「女房を寝取られる亭主のほうが間抜け」というトーンで表現されているところをみると、まあ江戸っ子たちにとっては人の不倫なんて、下世話な話題くらいのものだったんだろう。

「人の女房と枯れ木の枝は、登りつめたら命がけ」という台詞が出てくる。これには「危ないことである」という意味が込められているのは確かだが、「だから登るな」というよりは「登るなら命がけで登るんだよ」という、冒険心をあおる愛嬌さが含まれている感じが個人的にはする。同時に、細々とした枯れ木の枝を登ろうとするなんて「馬鹿げた挑戦である」「うまくいきっこない」といった、皮肉も込められていそうだ。

落語とは「かっこわるい人間らしさ」を見つめなおす時間。

慌てて逃げ出すときに、部屋に「紙入れ」を置いてきてしまったことに気づく。「紙入れ」の中にはおかみさんからの手紙をいれたままにしてある。おしゃれでめずらしい紙入れなので、亭主にも見せて自慢したことのある紙入れだから、誰の紙入れなのかはばれてしまう。弱ったと気弱な新吉は逃げようと思うが、ふと足が止まる、「逃げて暮らしていけるんだろうか、どうやって飯を食って生きていけるんだろう」と。

「慌てると、大切なものを置き忘れてしまって後悔する」というリアリティ。「逃げることはできても、知らない町で一から人生をやりなおすパワーなんてない」というリアリティ。

落語の魅力は、こういう「かっこわるい人間らしさ」を見つめなおす時間なんだろうと思う。

誰しもの胸に「自分のかっこわるさ」は心当たりがあり、それをひた隠ししながら生きているが、落語ほど「ナマの人間らしさ」をさらけだされると、肩の力が抜けもっとラクに生活に向き合えばいいのだという心持ちになれる気がする。しょせん人間なんてこういう下世話で小心者の生き物なのに、気取りすぎる必要はないな、守りすぎる必要はないな、と、気持ちを楽にさせてくれる。

落語とは、そういう療法、良薬なのではと思うのである。